小学校入学は、子どもにとって大きな節目。特にギフテッド2E(発達凸凹を併せ持つ子ども)の場合、得意なことと苦手なことがはっきり現れやすい時期です。
ここでは、6歳で公立小学校に入学した息子の1年生の様子を振り返り、特徴や困りごと、成長の様子をまとめます。
当時はまだギフテッドという言葉すら私自身聞いたこともなく、なんか他の子と違う気がする。とは感じていましたが、じゃあ何なのか?という答えは見当たらず、日本の教育に馴染むよう、浮かないよう、そんな風に育てていました。
学校生活スタート

幼稚園の様子から、もしかしたら発達障害かもしれない
という不安を持ちながらも、選択肢は他になく、そのまま学区の公立小学校に入学しました。
1年生は幼稚園の時仲良かったお友達とも同じクラスになり、先生もとても理解のある先生でうまく得意な事を伸ばしてくれる先生でした。
最初は「幼稚園に戻りたいなー」と言う事もありましたが、始まってしまえば「学校って楽しい!」と言い、毎日元気に通っていました。
幼稚園時代からの友達も沢山同じ小学校にあがったので、お互い「どんな子か」ということは理解しており、対人関係でのトラブルは一度もありませんでした。
3年間同じ幼稚園で過ごしてきた仲間は、年齢は小さいながらも幼稚園という集団生活において、お互い信頼関係を築いていたことを、後になってから強く感じました。
別の幼稚園から上がってきた新しくできた友達ともよく遊んでおり、ギフテッドは内向的な子が多いともいわれますが、息子は外交的かつ友達も多いほうでした。
学校生活での困りごと
忘れ物や宿題の提出忘れが多い
一緒に時間割、連絡帳を見ながら持ち物を揃えるのですが、それでも玄関に置いたまま行くこともよくありました。
家では私もチェックできるのでまだいいのですが、学校にその日の宿題プリントを持ち帰ってくるのを忘れたり、週末体操服を持ち帰ってこなかったりと、学校に忘れ物をすることもよくありました。
忘れ物に関しては、やはり親がなんでも手を貸していた幼稚園生活とは異なり、学校生活が始まってから顕著に出てきました。
ケアレスミスが多い
面談で言われたことは、学習面はがんばっているけれど、ケアレスミスが多い(書き方が雑で6を0と間違える、100ます計算で欄を間違えるなど)との指摘がありました。
理解しているのに、小さな抜けや飛ばしが目立つようでした。
授業中のしゃべりすぎ・集中のムラ
授業中、前のめりでしゃべってしまう、などの指摘がありました。
答えをしゃべりそうになる前に先生が「しーっ!」と抑制してくれたり、授業の進め方も工夫していただいていたようです。
面談時にご迷惑おかけしていないかどうか聞いた際、
「いいんです、楽しく学校にきてくれたらそれでいいんです!質問も授業を遮って喋ってしまいますが、一つ一つ対応していたら授業が止まってしまうので、今はある程度泳がせています。大事なことはそこではありません。とにかく学校に元気にきてください。」
とおっしゃってくださいました。とにかく寛大な心で一人ひとりの個性を丸ごと受け止めてくれるような先生でした。息子自身も先生のことが大好きで、信頼関係が築けていた一年間でした。
早期教育・勉強先取り学習はしません
勉強に関しては、先どり学習はあえてしませんでした。中学受験も何も当時は考えておらず、小学生は遊ぶのが仕事くらいに思っていました。
家庭でできる学習として、当時本人がドラえもんブームだったこともあり、(現在はもうないのですが)小学館の通信教育「ドラゼミ」を受講していました。ドラゼミが変わってしまったのでその後は「スマイルゼミ」
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学校から帰ってきてからは、遊びと学校の宿題とピアノで疲れてしまっていたので、基本的には家庭学習は朝学校に行く前の10分のみ。
この頃は勉強は苦ではなかったので、遊び感覚で毎日取り組むのが習慣でした。
当時本人が気に入って解いていたのは宮本算数教室の教材「賢くなるパズル」シリーズです。計算が特段早いタイプではありませんでしたが、ひらめきが早いな。という印象でした。
公文や塾などは通わず、私自身も知育らしいことはほとんどしていなかったと思います。
ギフテッド2E児にとっていい先生とは?
一年生の担任の先生は、できないことを叱ったり怒ったりするわけではなく、個性を認めた上で指導をしてくださいました。できないことを指摘するよりもできたことを評価してくれる先生の方が、子どもはやる気を出し、信頼関係を築いていきます。人よりできることと、人よりできないことがある2E児にとっては、まず先生にその子の個性を認めてもらうことが最も重要だと思います。
担任の先生で学校生活は良くも悪くもかわります。
先生と信頼関係が築けているときはよいのですが、学校で頭ごなしに怒られ、自己肯定感が下がると、担任や学校に拒絶反応を起こし、学校生活は最悪な状態に陥ります。
そして連動してもれなく私生活も最悪な状態に陥ります。
5年生くらいの時に息子本人に「いい先生とはどんな先生?」と聞いたところ、「僕の考えや意見を否定せず一旦聞いてくれる先生」とのこと。
息子は幼稚園の頃から、対大人の場合、信頼関係が気付けているかによってどう振る舞うか見極めているところがありました。「ルールが正しいから守らないといけない」というよりは、「自分を分かろうとしてくれている大人の言う事は、自分も聞かないといけない」と思っているような節がありました。
マイノリティに位置するギフテッド2Eの子はなかなか周りに理解されたり、共感されたりすることがありません。そのため、信頼がおける大人がクラスに一人いるのといないのとでは、まるで学校の居心地が違うのです。
友達と公園遊びが大好き
この頃のエネルギーは遊びに向いていたと思います。遊べる日は友達と約束をして公園に出かけるようになりました。サッカー、鬼ごっこなども好きでしたが、独自のルールをいつもの遊びに加えたり、オリジナルの遊びを考えてみんなをまとめるようなこともよくありました。
週末は大きな公園に出かけたり、山や川、キャンプなど自然の中で過ごすのも好きでした。
ヤマハジュニア専門コースで大忙し
ピアノに関しては、個人レッスンに移るかヤマハのジュニア専門コースに進むか迷いましたが、本人がヤマハでみんなで合わせて演奏するのが楽しいとのことで、ジュニア専門コースへ進むことにしました。
個人レッスン30分+グループレッスン1時間なのですが、毎週たくさんの宿題が出ます。
個人レッスンでは4曲くらい常に練習曲の課題が出て、グループレッスンでも、伴奏を考える宿題、変奏の宿題など毎日ピアノに追われていたような気がします。その途中に何度かコンクールにも出るため、コンクール対策などもしていきます。
息子は耳で聴くと弾ける半面、譜読みがいつになってもできませんでした。グループレッスンの中でたまにミニ発表会があり、自分で弾きたい曲を選べたのですが、耳コピで楽譜のないヤマハのCDの曲を弾きました。
今思うと正解が一つではなく、仲間の数だけ正解があり、好きなことを枠にはまらず何でもやらせてもらえるヤマハ教室は彼にとって最高の居場所でした。
J専の様子はこちら
どうする海外赴任
海外赴任の内示が出たのが就学してすぐでした。やっと学校に慣れてきたところで転勤の話。今考えるとどの程度理解していたのかは定かではありませんが、息子にも海外についていくかどうするか、メリットデメリットなど色々話しました。
子供だから親の意見に従うのは当然なのではなく、必ず子供たちの意見を聞いて家族の方向性を決めていくのがわが家の方針です。
息子は小さいころから、物事を多方面から考え論理的に話すところがあったのですが、



離れて暮らすのは嫌だからついて行くけど、今すぐは行きたくない。ヤマハがやりたいし、僕は中途半端な時期に学校を辞めるのが嫌だから、1年生の間は日本にいる。
とのこと。常に情熱的に生きている息子は、主人が出発の朝は大号泣でしたが、気持ちの切り替えが異常に早く、数分後には「じゃ学校行ってきまーす!」という感じで登校しました。
この半年後から数年、結局家族で海外で暮らすことになるのですが、環境の変化は実際息子にとってとても大きかったようで、様々な苦悩がありました。
今だからはっきり言えることではありますが、ギフテッドや発達特性がある子にとって、環境調整は何よりも大事であると思います。
記憶力が良い
この頃の一番のブームはなんといってもドラえもん。TVアニメを見るのも好きでしたが、「最新ひみつ道具大辞典」が破れるまで熟読していました。ひみつ道具の知識はほぼ頭に入っていました。
当時のドラえもんの映画の主題歌が星野源さんの「ドラえもん」だったのですが、先生に来週までに耳コピで弾いてきてと課題を出され、楽譜もない曲を弾いていきました。私自身もピアノは6年間習っていましたが、耳コピはできません。楽譜がない曲に左手も伴奏を自分でつけることができるものなのか!と驚いたのを覚えています。
ベイブレードにもハマったのがこの時期。細かくパーツに分かれて、組み合わせて遊べるコマです。
元々の組み合わせ、買った順番をすべて暗記しており、友達のパーツが紛れ込んでいたり、自分のパーツがなくなっているとすぐわかるようでした。
かいけつゾロリを熟読
幼稚園の時は毎晩読み聞かせをしていましたが、小学校に入ると自分で本を読むようになりました。図鑑系も好きでしたが、「かいけつゾロリ」のシリーズにはまりました。一度読み始めると、過集中となり声をかけても反応しません。一度読んだら終わり、ではなく何度も何度も読み返していました。
引っ越しの際、荷物整理のために捨ててもいいかと毎回聞くのですが、ゾロリは宝物とのことで1冊も手放していません。
ゲームはいつから?
この頃から周りのお友達はswitchやDSなどゲームを持つ子が増えてきました。
入学と同時に買ってもらう子も多く、友達の家で遊ぶときはゲーム、ということが増えました。息子もゲームを欲しがっていましたが、はまりやすい性格であることは重々承知でしたので、できるだけゲームを持たせる時期は遅いほうがいいなと思っていました。一年生の間はゲームで遊ぶのはお友達の家でのみでした。
レゴにはまる
この頃からパーツの大きいデュプロから小さいパーツのレゴに変わりました。説明書通りに作るよりも、自分で考えて作るのが好きでした。
ちょうどプログラミング教育が学校で取り入れられると世間で騒がれていたころでもあったので、物は試しと思い、Z会プログラミング
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当時のセットはモーターが付いていてiPadと連動させて動かすというものでした。一通り、解説通りに作ってみたあとは、独自で考えて、色々と作れるのが面白いようでした。
息子の1年生の頃の特徴のまとめ
- 好奇心が旺盛で遊び・音楽・読み物への没入感が強い
- 教師との信頼関係が重要。「興味を認め、できることを褒める」アプローチが活きる
- 理解力や記憶力が優れている場面が多い一方で、忘れ物・順序を間違える・細かい書き間違いが目立つなどケアレスミスが多い
- 家庭では「チェックリスト」「持ち物確認のルーティン」「遊びと学びのバランス」を意識してサポート
一年生は学校生活も楽しく、先生も理解のある先生で特に学校から電話がかかってくることもなく、成績も問題なく過ごすことができました。
勉強の理解が早いこと、記憶力がいいこと、特定の部分に執着すること、耳がとてもいいこと、などはありましたが、それよりも私自身はこの頃は、忘れ物が多い、身の回りの整理ができない、脱いだら脱ぎっぱなし、自分のことしか考えていない、ごみが捨てられないなどできないことばかりが気になっていました。
この頃は周りのママ友達に相談しても、「男の子なんてそんなもんだよー」とか、「うちもそうだよ!」と言ってくれる友達が多かったので、なんとなく普通じゃない気がしつつも「そんなものなのかな」と特に発達クリニックなどの受診は考えませんでした。
赤ちゃんの頃の記録でも記載したように、ひとつひとつの発達が早いという特徴はありますが、ギフテッドかどうかわかるのは、できることと困りごとが顕著に表れる就学後であることが多いようです。
当時の幼稚園からの友達のことを息子は今でも「親友」と呼びます。その「親友」も、息子のことを「親友」と言ってくれています。
2年生で引っ越すことになるのですが、転校せず、そんな良き理解者が小学校の間、もし6年間一緒だったらこの子はまた違ったのかなと、後悔したこともあります。
2年生以降の記事は、noteへ記していきます。



